「マタニティハイ 」という言葉を、よく聞くようになったのはここ5年くらいでしょうか。「マタニティハイ」にひもづけされているのが「脳内お花畑になって、キラキラネーム(DQNネーム)をつけてしまう」というエピソード。
名づけ関連のエピソードが何度も繰り返され、さらに職場やSNSで「マタニティハイ」による暴言エピソードが積み重ねられた結果、「マタニティハイ」は出産前後にはつきもので、判断力を失ってキラキラネームをつけてしまう現象として、もはや都市伝説化しつつあるような。
「マタニティハイで離婚か!!」という見出しの記事など、出産後の行動さえも、全部「マタニティハイ」でくくられているのをみると、なんだかザワザワしてきます。マタハラとは違うのかもしれませんが、産前産後のママたちに、なんだかヒンヤリ感じる世間の空気。どうしてこうなったの?
おせっかいなかしわばが、「マタニティハイ」について調べてみようと思います。
目次
「マタニティハイ」を世間はどうとらえてる?
・ツイッターで検索してみた
「マタニティハイ」関連ではどんなツイートがあるのか、ちょっと検索してみました。アカウントが見えると差しさわりがあるかもしれないので、隠すために画像にしてあります。このほかにも、「マタニテイハイになって、精神状態がおかしくなった」エピソードがずらっと並んでいます。
「マタニテイハイ」と「今までと違った精神状態」「キラキラネーム」の結びつきは今や定番? 「怖くなった」ってツイートを見ると、あまり脅さないであげて、と思ってしまいます。
検索日にトップツイートだったのはこちら。
よっぽど暴言がすごかったのか、職場で完全に嫌われてしまっている方がいるようです。「マタニティハイ」で激変してしまったのか、妊娠前には性格的な問題がなかったのか、ぜひ聞いてみたい。
一方で、マタニティハイって何?的なクールな人もいます。
妊娠に対して不安を抱えている人にとっては、「マタニティハイ」があるものだという思い込みが、かえってプレッシャーになったりするかもしれませんね。
・「マタニティハイ」のエピソードを探してみた
上記のツイートでも噂されていたように「マタニティハイ」のエピソードは何度か話題になっていました。ツイートにある「自分あてのビデオレター」によく似ている話をたどってみたら、2ちゃんねるの掲示板にたどりつきました。
2ちゃんねる掲示板 生活全般 「今までにあった修羅場を語れ 7」398-399 2013/10/13(日)
もう落ちているのでリンクは張れませんが、もともとのアドレスは↓です。
ttp://kohada.2ch.net/test/read.cgi/kankon/1380611198/
あらすじ
出産直後の親友に呼ばれて産院に行ったら、親友はとんでもない名前をつけようとしていた。翌日、どうしても気になって説得しようと病院に行った。そのとき親友は正気に戻っていて普通の名前をつけると言った。親友は。以前自分あてに録音していた「マタニティハイでとんでもない名前をつけようとしていませんか」というボイスメッセージを聞かせてくれた。夫の話では、最後の手段と思って聞かせたら、ずっと聞き続けて、朝になったら正気に戻っていたらしい。
出産後のハイテンションは「産後ハイ」とも言われますが、最近は「マタニティハイ」でくくることが多いようです。ネタとしてはおもしろいですが、2ちゃんねるのスレッドの中で読むと、どうしてもリアリティは感じないのですが……。
これってホントなの? このエピソードが「マタニティハイ」の名づけ暴走を止める防止策として推奨してあったりしますが、どうなんでしょう。本気でやる必要があるのでしょうか?
ツイートで、紹介されていたエピソードはこちら。
2ちゃんねる掲示板 生活全般「今までにあった最大の修羅場を語るスレ3」343-344 2014年11月12日
あらすじ
嫁とその両親がマタニティハイになり、生まれてくる子に偉大と書いてじぃにあすという名前をつけようとしていた。上司に頼んでやめるように説得してもらっても聞き入れない。義弟がショッピングセンターで迷子の「じぃにあす」を探す放送をしてもらい、名前を笑っている周りの反応を見せた。嫁は激高して暴れたが、やがて納得して名づけをあきらめた。その後、まだあきらめていなかった義父母とは引越しによって絶縁した。
こちらはネタだとしても、あんまりですね。両親がすごすぎだし、妊婦さんは途中で暴れだすし。
こういう話は、その場で読めば「ああ、おもしろかった」で終わりですが、別の記事に引用されたり、それがツイートされたりして、どんどん広がっていってしまうもの。そうなってくると、本当らしく思見えてきてしまうのかも。妊娠したばかりの人やこれから妊娠する人を不安にしてしまいそうです。
「マタニティハイ」ってホントはどんな状態なの?
・医学的な定義はない
看護師国家試験にも出題される「マタニティブルー」とは異なり、「マタニティハイ」は医学的な定義はありません。だから、人によっては認識が大きく違っています。
一般的には「マタニティハイ」を「自分(または家族)の妊娠・出産・育児で、喜びのあまり舞い上がり、子どものことにとらわれて周囲の人が目に入らない状態」を呼んでいるようです。また、一部ではその特徴として、「妊娠するとどんな人でもなる可能性がある。暴走するとキラキラネームをつけるなど考えのたりない行動に走る」という思い込みが強くなっています。
妊娠・出産は生死のかかった一大イベント。とくに最初の妊娠は、喜びも不安も強いから、本人だけではなく、周囲の家族も大なり小なり舞い上がってしまうことはあるでしょう。それはいつの時代でも同じで、人によっては、ほほえましい程度を超えて、周囲に迷惑をかけたり、あきれるような言動があったののかもしれません。
どうして、今「マタニティハイ」への風当たりが強いのでしょうか。
近年、育児休業手当の整備で産休に入るまで働く人が以前よりも増えています。また、ラインやフェイスブック等で密接に日常的な連絡を取り合うようにもなりました。そのために妊娠中の言動がクローズアップされて、ささいなことでも批判を受けやすくなったという面はあると思います。
もうひとつ、妊娠中はホルモンの分泌が増えて精神状態に影響するという認識が広がったことが、かえって「マタニティハイ」を避けられない特殊な事態、手に負えないやっかいなものに思わせているのではないでしょうか。
・幸せな気分になるβ-エンドルフィン
妊娠を継続し出産の準備をするために、ホルモンや神経伝達物質(※)によって身体のあちこちにいろいろな指示が伝えられ、さまざまな機能が調整されています。よくハッピーホルモンと呼ばれるセロトニンの合成量も増えているのですが、妊娠中、セロトニンは胎児の血管収縮や、すい臓の細胞の中でインスリンの作用低下を防ぐなど、特別な働き方をしているようです(参考1)。
ひょっとしたら、妊娠中に落ち込む人も多いのは、セロトニンが別のところで忙しく働いていて、気分を高めるまでには手が回らないせいなのかも……(勝手な想像です)。
妊娠中のハイな状態は、神経伝達物質β-エンドルフィンの増加が原因ではないかといわれています。βエンドルフィンがどんな性質なのか、ヤホーじゃなくて、厚生労働省のe –ヘルスネットで調べてみました。
β-エンドルフィン ・エンドルフィンは脳内で働く神経伝達物質で「体内でつくられるモルヒネ」を意味している。 ・モルヒネの数倍以上の鎮痛効果があり、気分の高揚や幸福感が得られるため「脳内麻薬」と呼ばれる。 ・β-エンドルフィンは、エンドルフィンの中でも、苦痛を取り除くときに最も多く分泌される。 ・マラソンなどで苦しい状態が一定時間以上続くと分泌されて、「ランナーズハイ」と呼ばれる快感や陶酔感をもたらす。 ・性行為やおいしいものを食べたときも分泌される。 |
β-エンドルフィンは、けがをして痛いときや激しい運動で苦しくなったときなど、苦痛を軽減する働きをしてくれます。女性が分娩の痛みに耐えられるのは、β-エンドルフィンのおかげと言われていて、分娩時にたくさん出せるようなリラックス法の研究もすすめられています。
そのほかに、バチンコで当たりが出てホッとした瞬間に快感をもたらしてくれて、気持ちを落ち着かせる、「はまる」要因になるともいわれています。(参考2)
ただ、「脳内麻薬」とか「モルヒネ」とか「気分の高揚」「陶酔感」とか聞くと、それこそ麻薬のイメージが先行。判断力もない「ハイ」な状態になるのかと思ってしまいそうです。
・判断力への影響は?
では、β-エンドルフィンのせいで、判断力がなくなるようなことはあるのでしょうか。「はまる」こととβ-エンドルフィンの関係を研究した篠原菊紀氏(現 諏訪東京理科大共通教育センター教授)は、2001年の対談で
「もともと脳内にある物質ですから、人間にとって必要なわけで、麻薬に比べ分解も早く、そんなに怖いものではありません。」(参考2 前出)
と説明しています。
いろいろと探してみましたが、妊娠中にβ-エンドルフィンの影響で判断力が低下したとか、妄想がおきたなどの信頼できる症例を見つけることはできませんでした。判断力や集中力の低下ということでいえば、むしろ産後3、4日ごろから、ホルモンの分泌が急激に減ったために起きる「マタタニティブルー」やその後の「産後うつ」の症状として挙げられています。
β-エンドルフィンは妊娠中期以降に増え始めますが、増加がめだつのは妊娠後期、とくに36週以降だそうです。そして急激に増えるのは子宮全開時。陣痛のほうが痛く感じるのは、まだβ-エンドルフィンが効いていないからだとか。分娩後、3時間くらいたつと減少していきます(参考3、参考4、参考5)。マタニティブルーが出現するのが産後3、4日ごろといわれますから、その時期には激減しているのでしょう。もし、何か強い影響が起きるとしたら、分娩時を中心にした比較的限られた期間ではないでしょうか。
ちょっと横道にそれますね。臨死体験をβ-エンドルフィンによる幻覚とする記述もよく見かけますが、これも確定しているわけではありません。まったく関係がないという説や臨死体験のうち、幸福感や陶酔感をもたらしていることだけをβ-エンドルフィン効果ではないかという説もあるようです(参考6)。また、β-エンドルフィンは血液脳関門を通らない(参考7)から、鎮痛効果はあっても幻覚はないという説もありました。このあたりになると、もう専門的すぎて判断もつきません。
ここまで調べてみて、「妊娠中はβ-エンドルフィンの影響で多幸感に包まれて高揚する時期があるにしても、そのために普段の常識や判断力まで失うようなことは起きない」と思いました。
「マタニティハイ」を受けとめる
「マタニティハイでキラキラネーム」伝説ができるまでを想像してみました。
キラキラネーム、どうしてつけちゃうんだろうね→妊娠中や産後って、みんなテンション上がるみたいだよ→頭の中に脳内麻薬ができちゃうんだって→お花畑になって、わけわからなくなるのかな?→だから名づけ方して後悔することになるのかも→「マタニティハイ」って怖いね!!
名づけに失敗しちゃった→あのときはどうかしてたなあ、いいと思ったんだけど→だって、ほら「マタニティハイ」だったから。自分が自分じゃなかったの(言い訳)→「マタニティハイ」って怖い!!
本当に怖くなるようなことがあちこちで起きているわけではなく、そんな流れだったのではないでしょうか。
おなかの中で育つ命の不思議さに魅せられて、赤ちゃんの存在がかわいくて、ついついハイテンションになってしまう。それも、お母さんになっていくための大切なstepなのではないかと思います。
不安なこともがある妊娠中、幸福感に包まれて過ごせたら、おなかの赤ちゃんのためにもいいこと。それにβ-エンドルフィンをたくさん出せるようになったら、お産の痛みをもっともっと軽くできるかもしれません。妊娠している人は「マタニティハイ」を怖がらずに受け入れて。ただ、頭の中に周囲の人にも気配りしようね、赤ちゃんの名前は周りの意見も聞いてみようね、と書いておいておけばいいのではないでしょうか。
友人・同僚の「マタニティハイ」に困っているという人も、「どうせ今は話が通じない」と思わずに、温かく見守りつつ、目に余るときは率直に注意してあげればいいんじゃないかと思います。
……それがなかなか難しいんでしょうけど。
※ 神経伝達物質は血液を通らず、ほかの神経細胞や筋肉細胞に働きかける物質。ホルモンは内分泌腺から血液に放出され、離れた場所にある特定の部位の代謝に刺激を与える物質。
参考1 順天堂大学代謝内分泌学ニュース
参考2 at home 教授対談シリーズ こだわりアカデミー 篠原菊紀氏
参考3 「妊娠中β-endorphin分泌動態について : 尿中β-endorphin測定の応用」
参考4 Sarah Buckley AIMS Journal, 2011, Vol 23 No 4
参考5 産痛から解放される安産の研究(鈴木亨子) 首都大学東京産学公連携センター
参考6 臨死体験 ウィキペディア
その他参考 エンドルフィン ウィキペディア